Page 164 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼2001年チャンピオンシップ くまうちん 20/5/16(土) 20:18 ┗Re:2001年チャンピオンシップ 鹿三 20/5/16(土) 20:52 ┗Re:2001年チャンピオンシップ 南鹿 20/5/17(日) 2:09 ┗Re:2001年チャンピオンシップ antai 20/5/17(日) 9:08 ┗Re:2001年チャンピオンシップ第2戦場外 南鹿 20/5/17(日) 10:50 ┗Re:2001年チャンピオンシップ第2戦場外 残念だけど 20/5/17(日) 21:33 ┗Re:2001年チャンピオンシップ第2戦場外 antai 20/5/17(日) 21:50 ┗Re:2001年チャンピオンシップ第2戦場外 残念だけど 20/5/18(月) 8:22 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 2001年チャンピオンシップ ■名前 : くまうちん ■日付 : 20/5/16(土) 20:18 -------------------------------------------------------------------------
現在BS1で放送中。 2強時代の最強チーム同士のぶつかり合い。 |
▼くまうちんさん: >現在BS1で放送中。 >2強時代の最強チーム同士のぶつかり合い。 本山はうまいなぁ小笠原のFKいつ見ても最高 |
▼鹿三さん: >▼くまうちんさん: >>現在BS1で放送中。 >>2強時代の最強チーム同士のぶつかり合い。 > >本山はうまいなぁ小笠原のFKいつ見ても最高 このゲームが名勝負となったのは、第1戦の経過があるからですね。 2001年12月2日エコパ。開始早々、岡田正義主審はビスマルクにイエローを発した。 9分、DFファビアーノにイエロー。そして服部にPKを決められた。0−1ビハインド。 さらに37分、鈴木隆行が2枚目のイエローで退場。鹿島10人に。 (これは誤審だ。今でも思う。ゴール前で隆行は福西の首投げをくらい受け身を取った左手にボールが当たったのだ。隆行はこれを主審に猛抗議し、退場に。この証拠写真は後にインファイトのトップページに長く掲載されていた。もう一度見たいなあ。) 10人になったアントラーズ、引いて守る。 後半10分、中山雅史、追加点。0-2。万事窮す。 この時代のジュビロから3点取るのはとても無理。ともかくこれ以上の失点はできない。鹿島は守り、磐田は攻めて疲れる。ジュビロ交代によるバランス調整。このわずかなスキに、セレーゾ、本山を投入。キープのビスマルクから光速の本山へ。後半25分。リズムが変わる。攻めさせて疲れを誘い、本山投入。これを鹿島サッカーという。 34分、CKを得る。小笠原→秋田。秋田豊、魂のヘッド叩き込む。1点差。吼える秋田。 サポーター、革命前夜の盛り上がり。会場、不穏な空気。 35分、柳沢→平瀬智行交代。その平瀬、38分、ゴール前のこぼれ球押し込む。平瀬ゴール。同点。いや勝った!次の試合の流れはここにくっつく。 ゴール裏、死にそうなくらい沸く。結果2-2。そして舞台は鹿島へ。第二戦へ。 ジュビロはパスサッカーが強かった。鹿島はサッカーという11人の献身的個性が勝負強かった。トニーニョ・セレーゾ、苦しい90分を料理する最高の勝負師。 FK前の小笠原のラインを読む眼。勝負どころでは静かな男。 この時代のインファイトも尊敬に値する。 監督、サポーター含め、13の献身的個性の勝利でした。 |
第1戦主審・岡田正義 第2戦主審・レスリー・モットラム 差がありすぎる。 |
▼antaiさん: >第1戦主審・岡田正義 >第2戦主審・レスリー・モットラム > >差がありすぎる。 こういう時期だから、多少長文でも許してもらえると思い、書きます。 第二戦は、2001年12月8日、聖地鹿島。僕は今まで19時34分とは思ってなかった。 3時か4時ごろ、よく晴れた暑い日の午後に感じていた。 さて、その頃に鹿島に着き、まず神宮前のそば屋でお昼を取った。内田屋。 店内は割合空いていた。外の駐車場にバスが二台停まっているのにとおもった。 そのバス、中型の二台だったが、二台とも富山ナンバー。 そしてなんとそのナンバープレートに着目。一台は1313、もう一台は5656。 当時僕は田無からか通っていたが、遠く富山の地からこのモチベーションを持ってこられたのには驚いた。柳沢敦は点を取らねばならぬ。いや、取ってもらわなければ申し訳ない。鈴木隆行は出場停止だから、ヤナギよ、お前ひとりが頼りだ。 冷やしたぬきそばを食べ、神宮に勝利祈願に行った。やたら13番が多い。それはわかる。だがびっくりしたのは、祭壇の中にぎっしり13番が座って祈願中だった。全員13番。これには震えた。神官の祝詞が朗々と聞こえてくる。 「日ごろ鍛えし技を十分に発揮せしめ、ジュビロ磐田を打ち負かし・・・」そこしか覚えていない。 おお。神は現代のことがわかるのか。 タケミカズチノオオカミ様が味方してくだされば・・。いやそう願うしか手段はない。 13番の人に聞いたら、今朝早く富山を出たと言う。 凄いことだ。感動した。応援という心の世界が、遠い日本海のかなたから現実にこれだけの人間の体を動かしてこの鹿島の地に足を向けさせ絆を生み出すのか。そういう風に思った。 スタジアムに着くと席はどこもいっぱいで座れない。やむなく、ジュビロ側に行って、警備の人にお願いした。コーナー席に入れてくれた。他に赤いユニが何人かいた。 超満員。遠くから来た柳沢応援団は席は取れただろうか。大丈夫。サポ席右側中段に ノボリを立てている。 僕はジュビロ側に座ったおかげで、小笠原のFkをまざまざと見ることができた。 柳沢敦は壁の右端(僕からは左端)に立ち、ジュビロの壁を制限していた。糸を引く大工のような小笠原の視線。やがてナイフの刃のカーブを描いたボールは、柳沢が引っ込めた頭の位置をそのまま通ってネットに突き刺さった。 祈願は成就した。あの日、祈願を終えて戻るとき、春日灯ろうのところで砂利の音に混じって背中から雷が鳴ってっていた。本当だ。 |
おっさんの戯言として まず、1999 国立での磐田戦 今だにJリーグベストバウトにあげられるこの戦いで 敗戦を記します。本田の不用意なファールという方がいますが責任感の塊のあの人があそこでファールせざる得ない状況だったのだとも思います。FKを決めた選手を称えるべきです。 同年のナビスコ決勝 最後の最後に追いつかれPK戦での敗北 小笠原の涙。 ちょうど 新旧チームキャプテンの雪辱を噛み締めました。 2000年は 3冠 しかし、リーグ戦でのVゴール勝ちの連続 気持ちはうれしいけど観戦するほうも勝ち点的にもつらかった。それを払拭する流れになったナビスコのリベンジ 準決 仙台で見た 前年の思いから電光掲示板の「雪辱するは 我にあり」の文字痺れた 決勝は まだJ2でしたね 極めつけは天皇杯の小笠原のミドルでしょう。 そして2001年のCS 今だ小笠原の凄さばかり語られますがそれ以前に平瀬を誇りましょう 第一戦でのあのハンド紛いのシュートとはいえ決めたことが次節につながります。 隆行を退場させたのは大岩でしたよね。 小笠原のFK 本山がファールを受けて獲得したものでした。 スタジアムは大揺れ ふざけんな!! そんな中で(そうおもいつつも)素晴らしい位置 小笠原が決める!! と一緒に観ている仲間に自分に言い聞かせてました。 数分後の歓喜は忘れられません。というか入った瞬間は覚えてるんですが立ちすくみ抱き合うまでしか覚えてないんですよね。絶叫してた気もしますし、感動で声出せてたか分かりません。 ただ、その後帰り道に思ったのは 小笠原の天皇杯のミドル 悔しさを刻んだナビスコ決勝のPKという歴史でした とりとめなくすんません。 |
▼残念だけどさん: >隆行を退場させたのは大岩でしたよね。 いや福西がネックブリーカードロップしかけてやられた側の隆行を岡田が退場させました。 |
▼antaiさん: >▼残念だけどさん: >>隆行を退場させたのは大岩でしたよね。 > >いや福西がネックブリーカードロップしかけてやられた側の隆行を岡田が退場させました。 福西でしたか 失礼しました 個人的には柔道の大腰に観えました |