Page 771 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼忘れてはいけな事 東京アントラーズ 18/6/3(日) 12:08 ┗Re:忘れてはいけな事 神鹿人 18/6/4(月) 0:57 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 忘れてはいけな事 ■名前 : 東京アントラーズ ■日付 : 18/6/3(日) 12:08 -------------------------------------------------------------------------
クラブは過渡期に置かれている。 どんな組織にも過渡期はあり、同じ状態が延々に続く事はない。 鹿島は「自ら、過渡期に突っ込んでいった」様に見えてならない。 中断期間なので時間に余裕がある方は「国立競技場で行われた1999年5月5日の鹿島対ジュビロの試合を見て欲しい」色んなエッセンスが入っている。 こんなサッカーをやっていたんだ。 ジョアン・カルロス時代の5TOPと言われ、ガンガン点を取りに行くサッカーを継承していた頃だ。でも、このチームは崩壊する。(ジーコが代行監督をして救ってくれた) クラブは数根先を見て、阿部や室井、鬼木ら主力を移籍させ、小笠原や中田世代に切り替えて、セ・レーゾが就任させた。 セレーゾは秋田、相馬、奈良橋、熊谷らで「鹿ナチオ」を完成させ、就任1年目で3冠に至ってしまう。 (リーグ戦のセカンドステージの清水戦でPKを失敗したビスマルクが、試合終了間際に、相手コーナー付近で『時間稼ぎのキープ』を見せたのが「キープ」の始まり) 極端に言えば、3冠時の「鹿ナチオ」がオリヴェイラ監督、石井監督時代まで継承され、世間に言われる「堅守・速攻の鹿島のサッカー」として定着していった。 「鹿ナチオ」は、若手中心の未熟なチームが守備を中心にチーム作りをしていった結果だったが、そのテンプレは捨て去ってしまうには惜しいものだと思う。 (かつて椎本さんは、ジュビロに移籍した宮崎を学生時代に見て「鹿島のサイドバックの 動きができる選手だ」としてスカウトしたと語っていたが、もう、そういう形での選手獲得や育成は行っていないのだろう) 右サイドバックが攻撃に上がったら、CBがそのスペースを埋めてゆき、ボランチが左サイドに加わる。 2TOPは、楔になるボールを受ける事と相手DFの裏を突くべく動きを繰り返し相手DFとの駆け引きを行う。 この約束事は今のチームでは行われていない。意図的に辞めたのか「指揮官や選手がそういう意識すら持っていない」のか、は分からないが。 大岩監督(満さん)のチーム改革の狙いは、「鹿ナチオ・サッカー」からの脱却なのだろう。 「鹿ナチオ・サッカー」はあくまでも戦術の一つだけど、もっと大切な「ハート・考え方の『劣化』の方が深刻」だと思っています。長くなるので、また。 |
▼東京アントラーズさん: > >「鹿ナチオ・サッカー」はあくまでも戦術の一つだけど、もっと大切な「ハート・考え方の『劣化』の方が深刻」だと思っています。 自分も、このことを痛感しています。チームとしても全体的に脆弱というか、線が細いというか、ひ弱に感じます。世代交代の過渡期とは言え。舵取りが急で定まらないからか、混乱していて、一歩間違えると崩壊するのではないかと危惧しています。 |