客観的にも分かる技術、身体能力で優る選手を起用していれば、確率的にはゴールや勝利の可能性が高くなる錯覚に陥りがちだが、サッカーはそれだけではない。
磐田戦に臨むスタメン達は不自然な笑みを浮かべたり、明らかに緊張していた。それによりプレーの質が低下していたとは言わないが、積極性、揺るがない闘争心は隠れてしまっていた。
昨年CSの川崎戦で、小笠原が激昂し、中村憲剛に詰め寄る迫力を見せた試合を思い出す。個人の技術は目立つし、けっこうなんだが、良い選手ならば他クラブにもいる。だから、鹿島にあって、他クラブにないものを継承していかなくてはならない。柏戦からの180分間、微妙に焦りのある選手たちが惜しい攻撃を繰り返すなか、とうとう小笠原をただの1分間も使わなかったことは、自らのチームが有する他にはない強みを放棄したも同然で、なぜ勝負事のもつ空気の大切さを信じられなかったのかという不満は消えることはない。
ちなみに、上記のような精神的な側面だけでなく、今季の鹿島には戦術的欠陥もあった。新戦力の選手達はとうとう最後までどこかしら戦術的判断力に欠けていた。アタッキングサードに入ってもやはり互いを有効に活かす連動性には個人の意欲優先で、悪かったとは言わないが、それがフィニッシュの精度を欠く原因になっていたのは否めない。
強化費バブルなJリーグがレベルの底上げをするには、より個人能力が優れた選手を獲得してゆくことが必然だろう。しかし、これは今年の失敗の教訓であるが、個人技だけでなく、インテリジェンスのある選手を探すこと。そして、鹿島が世界に通用する部分として大切にしてきた、勝負事に対する精神的な部分も含めた駆け引きを軽視して、自ら放棄してしまわないことである。本当の強さは、1つの生き物のように限りなく一体化して、必要な時にきめ細かい仕掛けをはさんで、自分達のペースに持ってゆく強さなのだから。