Page 1242 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼この論争を見ていて思ったこと 千葉鹿 09/11/9(月) 20:10 ─────────────────────────────────────── ■題名 : この論争を見ていて思ったこと ■名前 : 千葉鹿 ■日付 : 09/11/9(月) 20:10 -------------------------------------------------------------------------
私は応援の勝ち負けという概念自体、個人的には興味がありません。声量対決にもどれほど意味があるのか分かりません。声量ではアウェイ側に負けていたり、浦和に負けていたりしますが、それでも一概に応援で負けているとは思わないし、ファンが劣るとは思いません。 多くの場合アウェイ側は人数で負けてますので、始終歌い続けます。ホーム側は黙ってたりメリハリつけますと、「応援で負けた」と思うのか、それとも「お前らは応援で負けてる」と思われるのが嫌なのか、ゴル裏特有の意地の張り合いから、こちらも始終歌い続けることになります。 しかしこれって選手のための応援ですかね?暴走族の意地の張り合いというか、応援してるぞってことを選手にアピールするための応援になってませんかねって思います。私は時々指定時々ゴル裏のヌルサポです。もちろんゴル裏の人は同じファンとして尊敬してますが、ちょっと再考してほしい部分もあります。 ちなみに今季に関しては、私たちは応援うんぬんを語る資格もないでしょう。名古屋戦で試合途中にもかかわらずゴール裏から帰宅した方々。2階からポールを落とした方々。 何のために応援という言葉を語るのか、誰のための応援なのか、ちょっと考えてほしいです。 長々と失礼しました。 |